夏休みをぶっ壊されました

E様(愛知県)

「夏休みを、ぶっ壊~す!」
1番初めに河童先生を見た時の河童先生のセリフです。その後きっちり私は夏休みをぶっ壊されました。

確か小学4年生の時です。宿題が多すぎたために集団塾を辞め、通信教育の受験科に入り、
そこのテストでさえ偏差値が50を切っていた頃になります。気が付けば偶然見つけたカッパクラブに入会していました。

当時のカッパクラブにはクラブ会員専用の動画がありました。
冒頭のセリフを聴いて、初めに思ったことは、

「あ、これ私には無理だ😫」

です。

私は、それまで動画の授業というものが苦手でした。
一方通行の情報、テキストを読み上げるだけの講師。どこか機械じみていて、風景や物事が想像しにくい。

それが、苦手だったんです。そもそも動画だから続かないな、とか、三日坊主だからすぐ見なくなるな、とか思っていました。
ですが、その動画は一味も二味も違ったのです。要点は押さえたけど、どんどん逸れていく話。
でもその面白い話さえ「学び」となる。何より、先生がすっごく楽しそう。
一方通行の情報でも、想像力だけはある私には、先生の言っている風景や物事が、ありありと想像できる。
面白くて、みごとに夏休みをぶっ壊されてしまったのです。

しかし、残念なことに、5年生になる時に、カッパクラブは休会となってしまいました。
私は、YouTubeのカッパドリルTVを見ながら、カッパクラブはいつ始まるんだろうと思っていました。
そして6年生の夏、ようやく再開したので、さっそく再入会しました。
河童会議というSkypeのミーティングが始まり、河童先生は2年前と変わらない様子で話を逸脱させていました。

その頃、算数がわからなくなってきました。個別指導塾に通っていたのですが、
合格判定テストで偏差値53の学校でやっとC判定、という結果になってしまいました。

ちょうどその時に、カッパクラブで「大きな船を見る会」というイベントの募集をかけていました。
このまま悩んでいてもしかたないし、気分転換にと参加しました。このイベントで初めて河童先生と直接会いました。

「この先生、思っていた以上に面白い!」

いろんなことを思っていたのですが、要約するならこんな感想でした。
私の中ではものすごくいい感情しか湧き上がってきませんでした。
例えば、私はたまに周りからズレたことを言ってしまうことがありました。
まわりの人にとっては普通に見えても、私にとってはなぜ?と思う所がよくあります。
他の人は「へ?」と疑問で返してくるような質問でも、河童先生は、それに答えてくれました。
私が、ずれたことを言ったな?って思った時にも対話ができたのです。

友だちとだと「…なんでもない。」と言って、ごまかしてしまう話なのに、
河童先生はちゃんと話を聞いてくれて、さらにツッコミを入れてくれました。
だから、その後も延々と会話が続きました。それが、とっても嬉しかった。偶然かもしれません。
でも、嬉しかったのです。

その後、色々あって、10月から河童先生に家庭教師をしてもらうことになりました。

実は、社会の基本的なところができていないと言われてしまったのです。
また、算数と理科の先生も手配してくださいました。一対一のカッパ先生の授業です!
私はずっと動画で観ていたせいか、芸能人みたいに河童先生を認識していました。画面のこっちと向こう。
それが、同じところにいるのです。そのため、初めはすごく緊張しました。

でも、河童先生はいつも通り。要点は押さえているけれどどんどん話が逸れる。
動画と違うのは、先生自体の話の割合が多くなることです。
だから動画以上に話に聴き入ってしまって、授業時間が30分伸びる、なんてことはよくあることでした。
それに、質問を送れば、すぐにSkypeで答えてくださいました。

そんなこんなで3回目くらいの授業の時、河童先生に、

「お前はやっぱり社会ができないから、カッパドリルをやれ」

と言われました。カッパクラブで出ている、河童先生が1995年から作っているというファックス版のカッパドリルです。

カッパクラブでは、印刷し放題!と、さりげなく出ている問題を、とりあえず一周やれ、と。
我が家にはプリンターがあったので、まずぜんぶ印刷しました。ウィンウィン…

「まだ終わらないの?」

印刷を始めて5分は経ちました。

「んー。あと半分はあるよ」

愕然しました。我が家のプリンターはレーザープリンターだから、印刷はかなり速い方なのですが…。

計算すると、一枚十問あって、4400問なのだから、440枚はありますし、
2枚に1枚答えがありますから、片面で刷っていったら、全部で660枚もあります。
河童先生が、作るのに2年かかったと言っていましたが、あらためてびっくり。

その時はもう10月も終わるって頃だったので、焦りました。

「これ、2月までに終わるの?」

必死に、私は1日に5日分(10枚)やりました。
学校の宿題と、算数と理科と、国語は終わった!次は…

「ご飯だよー」
「え!まだ社会やってないー!」

というパターンが1番多かったです。でもやらなければ溜まっていくのが宿題。
それまでは、夜ご飯食べる19時くらいまでしか勉強していなかったのに、
結局いつも21時30分までは何かしらやっていました。

そして修学旅行。京都と奈良に行きました。その前に歴史のカッパドリルを終わらせていて基本知識があったため、面白かったです。
金閣と銀閣に行ってきたので、帰ってきた後、河童先生と授業で、

「金閣と銀閣、どっちがいいか」

という議論しました。私は侘び寂びのある銀閣の方が好きなのですが、河童先生は金色だから金閣が好きらしいです。
ものすごく白熱した議論だったので、楽しかったです。

そんなこんなで、12月になりました。そんな時です。

「んー。ごめん熱出た。ちょっと病院行ってくる。」

母が体調を崩しました。あ、これダメなやつだ。と思っていたら、やっぱり「コロナ陽性」。
そこからはあれよあれよと家族全員が掛かってしまいました。
すぐに河童カッパ先生にはオンラインで対応していただきました。
ものすごく助かりました。

そして、ようやくコロナから復帰した頃から、色々な塾の合格判定テストを受け始めました。
その時1番初めに受けた模試では、河童先生が話を逸らした時に話していたことが出ていました。
そして、いつもより手ごたえがありました。

結果は、以前C判定だった学校がA判定に、E判定だった学校がC判定になっていました。

科目別に見ると、社会、算数、理科はもちろん、もともとできていた国語も偏差値が上がっていました。
とっても嬉しかったです。

毎週のように模試に行って模試祭りを開催していたのも落ち着き始めた12月の末頃、
カッパドリルの一周目が終わりました。そのことを河童先生に報告すると、

「2周目をやれ。」

とのこと。聞き間違えかな?と思ったのですが、目が本気でした。
急いで印刷し、受験の日まで、1日10日分(20枚)やらないと終わらない!となったので、
毎日必死にカッパドリルを解いていきました。

そして一月。あけましておめでとうございますなんて言ってられないよ!みたいな悲壮感漂った
お家もあったようですが(河童先生談)、我が家はあまり緊張していませんでした。
別に河童先生も、以前と変わらない様子でした。そんなこんなで始めの3校は無難に合格しました。
ここまでは模試祭りの時もずっとA判定出ていたので、自信がありました。

その頃、ようやくカッパドリルの2周目が終わりました。
始める前は河童先生が本気だったのに、終わったという報告をしたら、ドン引きされました。なぜでしょうか。
そして4校目。偏差値が61もあったので、ちょっと不安だったのですが、合格しました!

ですが、翌週の偏差値66の学校は、やっぱり落ちてしまいました。
国語の論説文が好きなジャンルではなかった上、物語文も難しく、たぶん見る目も当てられない無惨な結果だったと思います。
もっと早く河童先生に出会えていたら、とちょっと残念でした。
でも、4月から通うS中学校。制服がとっても可愛い上に、図書室(もはや図書館といってもいい)がとっても大きいことを知っていてので、本が大好きな私としては大満足でした。

1年前、S中学校の合格判定がCとかDとかだった私を拾ってくれた河童先生にはとても感謝しています。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


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